05 / 夢の記憶@


 夢の記憶@ 

「じゃあな、隼人」
 友人がそう言って去っていくのを少し見てから、俺も帰路についた。
 今日の朝の風景が、今でも鮮明に思い出せる。あの女性は一体何を思っていたのだろう?地面に膝を付く程の絶望を感じた事がない俺にとっては、今日の朝の出来事は、とても興味深いものだった。
 それ故に、帰りにもう一度あの公園を見て行こうと思ったのだが、あいにく友人に捕まり、断れないタイプの俺は、本屋について行き、通学路とは反対の道から家に帰ることとなったのだ。
 今の季節のせいもあり、日が落ちる時間帯は遅い。帰りくらいは涼しくなってほしいものだが、そんな願いを笑い飛ばすかのように、まだ蝉が鳴いている。
 まるで雨の中を帰ってきたような様で、”高橋”という、日本中にありふれた名字の書かれた表札が掲げられた家に入る。
「ただいま。」
 台所の方から母の”おかえり”という声が聞こえた。 鞄を投げ捨て階段を上る。自分の部屋のドアを開けると、真っ暗な世界が俺を迎えた。
 外はまだ明るかったのに…?
 頬を流れる汗は、暑さによるものではなかった。良くない事が起きそうな予感はしていたが、好奇心が勝る。俺は、拳を握りしめ、部屋に入った。
 最初の一歩、右足が部屋の床に着いた。左足を前に出すために、右足に全体重が乗った時だった。体がグラつき、俺の体は床に叩きつけられ…
 たはずであった。
 両足が地面に付いている現状に、自分が一番驚いている。俺の目の前には公園があって、その奥には大きなマンションが建っている。太陽が照りつけ、暑いはずなのに、その”暑さ”は微塵も感じられない。蝉も鳴いていない。なのに、遠くのビルは熱気でユラユラと揺れて見える。

 音がしない。

 視線を公園に移すと、ブランコに少年が座っているのに気付いた。下を向いているが、その顔には仮面が付けられている事が分かる。
 なんとなく、今この世界には俺とあの少年しかいない気がした。
 俺は公園に入り、少年の隣のブランコに座って遠くを眺めた。人見知りな性格なので、自分から他人に寄って行く事はなかったのだが、彼には、何か惹かれるものがあった。というより、引っかかるものがあったのだ。
「一人なの?」
 唐突に尋ねてみた。
 少年は少し顔を上げて答えた。
「お兄ちゃんがいるじゃない。」
 なるほど、俺としては話しづらいタイプの子のようだ。しかし、なぜだろう、少年の存在、そして彼の付けている仮面が引っかかるのだ。それ故に、俺は少年に興味を抱かずにはいられなかった。
 仮面…
少年の被っている仮面は、目の位置に合わせて二つの穴があいていて、まるで仮面にヒビが入っているかのような模様がある。
 何かが引っ掛かる…
そう思った瞬間、脳裏にモノクロの映像がフラッシュバックした。

 割れた鏡、いくつも映る誰かの姿、見えない表情…

 その顔を見ようとした時、元の世界に意識が戻り、それと同時に自分の中で一つの答えが見つかったが、昔のことであるので気にしないことにした。
 再び少年に質問をぶつけてみた。
「親はどうしたの?」
 長い沈黙が辺りを包む。顔を上げてすぐに答えてくれると思っていたが、なかなか返答が返ってこないので、聞こえていないのかと思い、もう一度同じ質問をしてみようとした時であった。
「僕は捨てられちゃったんだ。」
少年は変わらない口調で、そう答えた。そして、それからしばらく続いた沈黙は、紛れもなく俺が作ったものだった。
 こういう時、何と言えばいいのか分からない。空を見上げ、また考え込む。返答するまでのあの時間、彼は何を思っていたのだろう?

 親に捨てられるって、どんなだ?

 想像のつかない世界を脳内に創造し、空がグルグル回る。 自分には、その存在が近くに感じられなくとも両親がいる。祖父も祖母もいて、今までの思い出も、彼らの表情も、その渦の中に入っている。

 では、少年はどうだろうか?

 考えるまでもない。その溝は底の見えるものではなく、傷は一生消えないもの…
 気持が沈み、それに反応するかのように自然と顔が下を向き、二つの影が見えた。しばらくその影を見つめていると、片方の影が微かに動いた。少年が顔を上げたのだ。
俺も顔を上げ、少年の顔を見ると、その顔は俺の入ってきた公園の入り口の方を向いていた。何があるのか気になり、少年の視線をたどる。

 公園の入り口、その横にある公園を囲うようにできたフェンス越し、そこに立つ一人の高校生。

 俺と同じ高校の制服だ。いや、というか、あれは…
…それは、見間違うはずもなく、俺自身であった。
 突然このような場面に遭遇したら、誰でも同じ反応を示すと思うのだが、俺もそれと同じくして、唖然としていた。何せ、状況が理解できない。周囲が異常であることを忘れ、見開く瞳にまで心臓の鼓動が伝わった。
 しかし、今自分の見ている世界は、どこかで見た気がする。目の前に立つ俺は、一点を見つめて動こうとしない。その表情から、今の俺と同じく、目の前の俺も唖然としていることが分かる。
 確か、最近こんな場面を見た気が…
 そうだ、今朝の風景。すると、俺の見ているものは…
視線を反対側の入り口に移すと、そこにはやはり、今朝見かけた女性が地面に座り込んでいた。
 俺が女性の姿を確認した時、隣にいる少年が、うっそうと生える木々の方を指差した。それは女性が見つめる先と同じであり、そして、俺の抱いた疑問の答えがそこにあった。

 周囲よりも一回り大きい木、その前にある二つの影は、俺から見ると重なって見えた。
 手前の影は、単調なリズムで動き、奥の影はそれに呼応するかのように微かに動いている。
 影の右側にはスコップ、左側には車椅子が転がっている。
 十数秒の後、手前の影が動きを止め、奥の影はそれと同時に崩れるように地面に倒れた。
 倒れた影を森林地帯の奥へ運ぶもう一つの影。
 引きずれる影からは黒い液体が流れ、太陽の光が、運んでいる方の影を一瞬だけ照らした際に、腰の何かに光が反射した。
 一通りの作業を終えたのか、森林地帯に影を放置し、もう一方の影は車椅子に乗ってマンションへと入って行った。

 これが、俺が今朝見ることのなかった光景。そして、それが殺人現場であったことは、誰が見ても容易に想像出来うるものであった。




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